LOUTTRE BISSIERE
 ルートルは、フランスが生んだ著名なアーティスト、ビシエールの子として1926年7月15日パリに生まれた。実名、マーク・アントワンヌ( Marc-Antoine )彼は父が与えた愛称ルートルと呼ばれる。
ザッキン、ブラック、そしてローランス、ラタピ、レオンなどの芸術家たち、そして父 ビシェールが教鞭をとっていたパリの美術学校 アカデミー・ランソンの若い芸術家達に囲まれ 12 才までパリで過ごした。1938年両親とともにパリを離れフランス南部、ボワシエレットに移り住む。大自然に囲まれた広大な敷地を有するアトリエには父ビシエールに共感する多くの芸術家、文化人等が訪れ、少年ルートルの芸術への視野を広げた。この恵まれた環境の中で、父ビシエールより、フレスコ、油彩、彫刻、タペストリーを学び、この父と子は善き師弟でありライバルとなった。
 彼の制作活動は14才の頃描いた「僧衣の父の肖像」に始まり、1945年頃よりサロン・ド・メなど公募展に出品し始める。                         1946年、ギャラリー・ピエール (Galerie Pierre) またスイスのギャラリーベイル(Galerie Beiyler)などで数点の作品を発表した。 1961年、パリ・ビエンナーレにおいて大賞を受賞、その後、世界各国で多くの賞を受賞し名声を確率した。
彼の作品はフランス国立近代美術館、パリ市立近代美術館その他、フランス、ヨーロッパ各地の公的美術館で所蔵される事となる。またゴブラン織、リモージュ、国立セーブル窯の陶器デザイン、公共モニュメントの制作など多くの公的活動にたずさわっている。
77才の現在も2種類の砂を用いたアクリル・油彩混合技法3メートルもの木版グラビヤ版画の制作や研究に精力的に取り組んでいる。
芸術家の家族 UNE GRANDE FAMILLE DE FRANCE
 ルートル婦人である、ロール・ラタピ・ビシエールは、1931年パリに生まれる。
父、ルイ・ラタピ(Luis Latapie)は、絵画、陶芸にたずさわる作家であり、ルートルの父ビシエールの親友であった。やがて、ロールは、父ラタピより美術史、絵画技法を学んだ。また、兄妹のように育ったルートルと共に多くの芸術家達に囲まれ多くを学ぶことになる。やがて、陶芸を学び、1950年、父ラタピの絵画作品を陶器に描き起こした。1954年、ルートルと結婚、4人の子ども達に恵まれる。1975年、ルートルとともにボワシエレットの教会の建設にたずさわり、彼女のタペストリーが壁面を飾った。
1991年、モンマルサンの現代アートセンターで個展。また同年、ルートルと共にカディヤックのシャトー・デ・ダック・デプルノンにおいて作品展を開催。
1991年、パリの画廊で個展。また1992年シャンベリー2手個展。
1992年、5月〜6月、アルジョントイユ芸術館にて作品展。

彼女の作品は、色褪せた木綿、羊毛の布、古いセーター、シーツ、夫ルートルの版画で用いた古布を作品の材料とする。それぞれの布は、何度も洗いざらし、柔らかな時の流れを表現している。彼女は、下図を描くことなく、自然に存在する2種類の色調を選び、縫い合わせる、さらに色調を加え、何度も何度も、重ね合わせる。時には1年も時を重ねる事となる。

偉大な芸術家、ビシエール
 ビシエール(ROGER BISSIERE) は1886年9月22日南部フランスロ地方ビエレアルに代々伝わる公証人の子として生まれた。彼が16歳のころ、父のフランス銀行就任のためボルドーに移り住む、優秀な彼は父の期待を受け上級大学進学を志し、法学を学ぶが、アルジェリア人の画家ロッシュグロッスに出会い、デッサンを学ぶ。父の反対をおしきり、一時アルジェリアの美術学校に身を置いたが彼の養育者である伯母の仲介によって父の許しを得、ボルドーの美術学校に学ぶことになる。(1905-1909)
そして1909年秋、彼はパリの国立美術大学に入学しガブリエル・フェリエのアトリエでアカデミック絵画を学ぶことになるが1年ほどで退学する。1910年よりフランス芸術家協会展に出品する。その後サロンドートンヌまたアンデパンダン展に毎年出品し始め、ブラック、ラタピ、レオンらとともに芸術運動を始める。
1913年頃より、フランスの「オピニオン紙」に芸術論を執筆、多くの文化人、芸術家と親交を結ぶことのなる。
 1914年6月、彼は田舎の生活に喜びを見出し、彼は母の所有する中部フランス、ボワシエレットにアトリエを築き、養蜂を始める、その後、夏の間はボワシエレット、冬はパリで過ごすこととなる。
1925年〜1938年彼はアカデミー・ランソンの教師として就任する。故田崎広助(田崎美術館)もその教え子の一人である。そのような関わりから,1930年6月、第7回二科展のために2点の絵画を出品する。「ギターを持つ女」「静物」その後作品は戦時中の混乱に紛れ彼の元に戻らなかった。
作品を縫う、ルートルの母
1937年プチパレで開催されたアンデパンダン展で作品買い上げられる。そして、1939年国立美術館は3点の作品を買い上げた。一時、ビシエールは目を患い描くことを中断するが妻ムースとともにフランス伝統工芸である古布を用いたタペストリーを制作し、新しいアートの世界を確立した。
1942年パリ近代美術館においてブラック、レジェ等とともに2作品を展示される。
1946年6月〜7月ベルギーのリュクセンブルグ美術館で開催された「フランス現代アート展」に出品。11月〜12月パリ近代美術館で催された「国際現代アート展」出品。
 1949年タピスリー「小馬」が政府買い上げとなる。1952年10月ベルナール・ドリバルによってビシエール「瓶のある静物」が国立近代美術館に寄贈された。
1952年12月フランス芸術大賞を授与される。
1959年4月9日〜5月10日国立近代美術館においてビシエールの作品が展示された。
1964年6月19日ベニス・ビエンナーレの審査員はビシエールに最高賞を授与した。
1964年12月2日ボワシエレットのアトリエにてビシエールは最後を迎えた。その悲報はフランスはもとより世界中に報道され彼の業績と栄誉を讚えフランスの近代絵画の誇りとした。彼の出身地ビエレアルに、彼の栄誉を讚えて 「ビシエール通り」(Rue Roger BISSIERE)通りの名を付けた。現在も彼の生家が残されている。
ボワシエレット
 芸術の故郷「ボワシエレット」、は、ゴールの民の里、ラスコーの洞窟、ロ地方にあります。ルートルの母、伯母、そして父ビシエールこの地は、芸術の大地として受け継がれている。ここには、ザッキン、ブラック、レオン、また多くの芸術家が訪れ、彼らとともに過ごした。